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日本という場所

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2019年10月10日(木)06時50分47秒
返信・引用
  私達の国は、世界第何位でものを考えるのが好きです。この話のきっかけもそうですね。
 それは日本が近代国家として誕生(それ以前にこの島には国家なんてものは
なかったのです。支配者はいましたし、被支配者もいましたが、自らを国家
という組織で考えたことはありませんでした。組織としては朝廷であり、幕府
です。そして、その組織の維持と強化が常に課題だったわけです。その間、
国民という問題は存在しませんでした。なにしろ、国家がないのですから。)

そして、日本は近代国家として誕生しなければならなかったために(チート
したズルをした)国家が国民を作り出すというイカサマをし、しかも、国民
は国家のために存在するというペテンを基本に据えました。
これは、テクノロジーを発展させなければ近代も国家もありゃしないという
当時の知識階層の共通認識から、ともかく、金を稼いで技術の移入だ。話は
それからだ。ということになったわけです。そのとき、目標設定をしました。
不平等に扱われない一級国家になる。です。実は、この呪縛はまだ続いていて
この呪縛があるうちは、国民ひとりひとりの幸せなんて二の次三の次です。
しかし、フィンランドにその呪縛はありません。なにしろ、ソ連という大国
があったおかげで国家としての力をつけすぎない。という目標設定が必要で
したから。また、フィンランドという国家の成り立ちがフィンランド人に
特別な基礎をもたらしていると私は考えています。
 
 

ご返事ありがとうございます

 投稿者:パンダ  投稿日:2019年10月 7日(月)20時41分41秒
返信・引用
  > その教育方針がどれほど優れていても<国民の賛同>と<理解><協力>が
> なければ実現しません。

なるほど。よくわかります。制度の前に社会が変わってなければダメだということなんでしょうね。けど、社会(つまり賛同やら理解やら協力)は国民への教育によってしか生み出せないというジレンマもありそうですね。

> 日本においては、「ゆとり教育」こそが日本版フィンランド教育の萌芽だっ
> たのですが、結局、ご存知の通りです。

あれはまさに国民の『理解』を おいてきぼり にしてましたね。頓挫するはずです。

> 実は受験をして振り分けることは当たり前であり、そのことによって
> <国民が階級化>されることでうまくいくのだという信仰をもってます。

これは支配階級やその仲間に取り入りたいという一部の『小市民』にとって顕著ですが、そういう意識を持っているのは極少数だと思っています。社会を見渡せば、高学歴?よりは落ちこぼれの方がはるかに多い。彼らは本心では『下位」に組み込まれるのを理不尽と思っていそうです。

> 頑張ればなんとかなるという思想が最たるものです。

絵に描いた餅としては、そういう思いもありますね。しかし、例外をのぞいてほとんどの場合、頑張るには「経済力」が必須だという現実があります。だから頑張る以前に「落ちこぼれる」のが日本における多数の現実じゃあないでしょうか?

フィンランドの方策はまずは落ちこぼれを回避していると思えました。平均学力は世界一らしいですが、上位一割を比べたら日本やインドや中国もいい勝負のような気がします。詰め込みもその部分に限っては成果を生むのじゃないかと思っています。が、やはりフィンランドの全体の底上げを考える場合、良い方策だと思えます。何より子供が幸せそうです。そこらへん、教育の現場からどうご覧なさいますでしょうか?
 

遅レスすいません

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2019年10月 5日(土)18時03分59秒
返信・引用
  パンダさんへ
その教育方針がどれほど優れていても<国民の賛同>と<理解><協力>が
なければ実現しません。

日本においては、「ゆとり教育」こそが日本版フィンランド教育の萌芽だっ
たのですが、結局、ご存知の通りです。日本人は受験戦争と非難しながら
実は受験をして振り分けることは当たり前であり、そのことによって
<国民が階級化>されることでうまくいくのだという信仰をもってます。

 頑張ればなんとかなるという思想が最たるものです。

どのようなシステムも結局、人間が運営する以上、人間が変わらければ
変化はおこりません。教育改革は結局、人間が機械に使われるという
状況下に対応する形ですすんでいます。
 

海外の方針

 投稿者:パンダ  投稿日:2019年 9月22日(日)08時29分31秒
返信・引用
  教育の話題として、フィンランドの方針が優れているらしい記事を見ました。https://www.youtube.com/watch?v=qK20_-MDJYc
この板に相応しいと思い、貼っておきます。
感想を聞きたいとも思いまして。。。
 

2020年 教育改革の真意

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2019年 4月13日(土)11時19分44秒
返信・引用
  自分のケツは自分で拭け。である。

自分の人生は最初から自分でつくってもらう。

そのための教育機会を提供するのが学校である。
そのために支援するのが家庭である。
以上。
 

自ら学ぶ子を育てる教育

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2019年 2月20日(水)05時24分19秒
返信・引用
  結局のところ、今、生き残る教育のコンセプトは
「ゆとり教育」である。
 大きく勘違いされているが、義務教育で教える
内容を精選し必ず身に付けさせる。その上でその
子が自分の興味関心に基づいた「学習活動」に
取り組める環境、時間を学校の中に確保する。と
いうのがそのコンセプトである。
 現指導要領も基本的にはこの考えに沿って作られている。
ただし、内容の精選が頓挫したので、経験の多様化に変更
されている。だから、体育でダンスをやる。プログラミング
をやる。英語をやる。道徳(特別な教科)をやる。どの内容
も実は「コミュニケーション」(交流力と交渉力)が基礎に
なっている。
 その結果、「自分」を中心とした関わりの力=生きる力を
高めようという体系になっている。
 それが、機能しないのは、「教師がそのような生き方をしていない。」
「そのような生き方をする教師を認めない仕組みに学校がなっている」
せいである。同じ学年であれば同じ授業が保障されます。では、そんな
子どもは育たない。小学校から担任制を廃止するべきである。児童が
教師の授業を受けて、一緒に学びたい教師を選択する。それができなければ
公教育はほんとうに絶望の教育になる。
 

つめこみ教育に価値がない証明

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2019年 2月17日(日)16時19分53秒
返信・引用
  まず、大人が「学校で覚えた事は役に立たない」と思っている。
実際は、「学校で覚えた<情報>は古くなる」または、
「学校の教科書に載っていることは<試験にしか役立たない>」
が正確なところだろう。

 試験は結局能力判定であり、無意味語をいくつも提示して、
5分後に書いてくださいという問題でも用を成す。
しかし、実際にどんな能力を判定しているのかというと、入学
した後、学業が可能かである。(レディネスという)
 だから、高度な内容を教えたいと思っているところは難しい
問題を用意する。(落とすためではない。)ある基準をクリア
すれば本来はみんな合格でよいはずである。

 施設の問題、授業者の問題があり、一定数しか入学させられない
(これについてはAIによる授業が完成すれば解消可能かもしれない。)

どれだけ知っているかを問うことは、今や、どんな意味も持たない。
知っていることは何かを問うことには意味がある。
しかし、詰め込み教育は<どれだけ>が基準である。ネットで検索
する能力を養った方が正解に近づくという現状ではまったく価値が
ない。

技能や知識の活用を通して、更に必要だと<自分が考える>技能や
知識を身につける教育の体系が必要なのだ。

今や小学校4年でこのプログラムができなければ落ちこぼれである。
https://blockly-games.appspot.com/

グーグル ブロックリー
 

本業のこと

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2019年 2月15日(金)06時30分59秒
返信・引用
  公教育は公教育だけに
授業時数と何をどうしなければならないかについては
公的に保障されている。

それがどの程度定着したかは努力目標であり、各教育委員会
しいては各学校ー地域によるところが大きい。

例えば、塾がたくさんあり、塾間に競争があればサービスに
よって顧客を維持しようとする。(宣伝が最近多いのは
そっちの方が限界なので知名度に敷居を低くしようとしてい
るのだ)ところが、地方には塾すらないところもある。あって
も、個人(つまりバックボーンのない)塾だったりして、補習
しかできないところしかなかったりする。
そうなれば、本末転倒だと思われるかもしれないが、学校が
放課後や土日に塾をするというところが出てくる。(実際ある)

 子供の定着率が低いのは当たり前である。勉強が面白くないから
である。好きなことは頑張るという当たり前のことを無視してはい
けない。そして、現環境下では学校は「面白くない場所」になりさ
がった。友達がいるから行くというモチベーションも、むしろ、
友達に疲れるから行かないに変わり果てた。
(友達を続けるのに相手のエゴにどう付き合うのか、付き合わずに
一人でいることにホッとできるのか、一人で居ることでマイナスの
価値を割り振られないかを悩まなければならない小学校3年生)

年寄りはそのことに鈍感だ。現場で児童の集団の前に立ってなにかを
教えたという経験もない。(言えば言うことを聞くのが当たり前、
そうでないのは躾がなってないのだ。もっと厳しく躾ければいいのだ。
手ぬるいから子どもたちは自分がどう振る舞えばいいのかわからないのだ)
上記のようなまったく現実とかけ離れた独り言だけが当然の基準のように
なってしまう。
残念ながらそんな基準は今までだってなかったし、現在はないことを
誰でも知っている。
その基準の根っこにあったのは<関係性>である。
教師(指導者)→児童(被指導者)の権威権力の関係性があってなり
たつことであって、親(保護者)がそのように振る舞ってなければ
当然、児童も対等の関係性を前提として教室にいる。
そこから、教師は自らポリティクスとしての権威権力を児童の間に作り
出さなければならない。これを学級経営という。

しかし、、、学級経営が破綻してから、もう相当経つ。担任一人では
学級は現在成り立たない。だから、学年経営(教師集団)で児童に向き
合おうとする。(数には数の論理)結果、どの学級も同じなのだ。それ
に適応できないお前が悪いのだ。という暗黙の同調圧力が学校を支配する。

 そのストレスが「いじめ」を起こす。やりたくなくても頑張っているのに
あいつだけズルいが始まりである。あとは理由がなくても「いじめられてる」
可愛そうな自分を救うためにだけ「いじめ」は無意識に行われる。それは
児童間でも教師児童間でも教師間でも起こることになる。
 結局、その路線は遅かれ早かれ破綻する。形だけでは人間は育たない。
考えさせない限り人間は育たない。しかし、どれだけ考えているを測る方法は
現在ない。できる。できない。しか測定できない。できる人はできる。できない
人はできない。という根本が無視され<努力>のせいにされる。
 努力は簡単には計測できない。結局、結果は自己責任ということにしたいだけ
である。
 もちろん、本当は違う。教師に実力があれば、その児童は伸びたかもしれない。しかし、横並びが基準なら、ただ淡々と教科書を演じるだけの授業が蔓延する。そして、それで基準を満たしていることになる。だから、こんどは学校の
基準を作って新たな横並びをする。もちろん、取りこぼす児童が出てくる。
 教師の実力は<授業のシナリオ=指導案>ではない。
 

根本的なこと

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2019年 1月 2日(水)08時20分5秒
返信・引用
  検索可能なネット上で
自分の知っていることに価値はない。
特に教科書に載っているような知識に価値はない。

価値があるのは情報の読み方、利用の仕方である。

テストであれば問題文をいかに読むかである。
テストは全て穴埋め問題(記憶していることを
答える)だと思っている人は実は勉強に向いて
いない。

今後は大学入試も変えていくそうな。
古い頭の使い方にはどんどん価値がなくなっていく。

保守と自称したり、他の人から呼ばれる人間の考え方の
特徴が何となくわかってきた。
 ○○すべきだ。そのように私はしている。だから、
〇〇すべきだ。○○なら。という思考回路しかない
ことだ。政治態度ではない。でも、この回路は昔は
左翼のものだった。理性的ならがこの頭に付く。
ともかく、まとめようまとめよう数で勝負という
発想に向かっていく。左翼も保守も多数派である
ことにこだわる。

そもそも、そんなにすり合わせて合致することは
そんなに多くないはずである。結局、メインプレイヤー
(神輿とかフィクサー)の代理人に陥るのが関の山の
はずなのにこの思考法から抜け出せないのは、勝ち負けに
こだわっているからだ。
 

おまけ

 投稿者:「あ」とよばれしもの  投稿日:2018年12月29日(土)13時38分31秒
返信・引用
  無重力空間に1kgのものと2kgのものを近づけて浮かべると
最終的には1kgのものが2kgのものに近づいていく。
両者の間に引力が働くからだ。
どうして、1kgのものが動くのか…ということが
わかっているだろうか。
(じゃないと、地球にものが落ちる説明ができない)
 

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